ELSA EX VISION 1700TV USB
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アナログ時代のチューナユニット、使いにくかったのかあまり使った記憶がありません。
「ELSA EX VISION 1700TV USB」の名前のとおりUSB接続のTVチューナです。
ノートで使うつもりはなかったのに何故USBを選んだのだろう?
黒いコードはアンテナ端子です。Fコネクタぐらい尻尾ではなく本体に付けてくれれば良いのに。
IBM PCおよびその子孫・互換機の総称を「PC」と呼ぶことにします。8ビット機やNECのPC-9801シリーズ等は含みません。
本体だけでなくパーツ類や周辺機器なども含みます。
アナログ時代のチューナユニット、使いにくかったのかあまり使った記憶がありません。
「ELSA EX VISION 1700TV USB」の名前のとおりUSB接続のTVチューナです。
ノートで使うつもりはなかったのに何故USBを選んだのだろう?
黒いコードはアンテナ端子です。Fコネクタぐらい尻尾ではなく本体に付けてくれれば良いのに。
ジャンク屋で見つけて2つ買い、1つ使用中ですがこれは予備としている方です。
標準的なホイールマウス、ThinkPad用のものらしく小さいですね。
買ったときは表面が溶けたようにベタベタになっていました。仕方ないのでバラして樹脂部品をIPAで洗ったところ、さらに溶けることもなくベタベタだけ何とかなりました。IBMロゴも無事です。
カセットテープはオーディオ用をそのまま使ったものでしたが、今回取り上げるのはコンピュータ用に作られたものです。
1/2インチのものは映画等に出てくる「いかにもコンピュータ」といった感じの奴です。これを個人で使っている人はあまりいないと思いますね。
記録密度は800bpi(Bit per Inch), 1600bpi, 6250bpiのいずれかで、9トラック、テープ長は2400ftというのが標準でした。今では記録密度もトラック数も増えています。
QIC(Quarter Inch Cartridge)は名前の通り1/4インチ幅のテープを使うもので、ドライブ, テープのような形態です。容量は20MB~1GB程度です。
UNIXワークステーション用のソフトウェアのインストールメディアとしても使われました。
CD, DVD, BDなど光ディスクが基本ROM(書き込めるものもあるが何かしら制約がありハードディスクのようには使えない)なのに対し、MOディスク(光磁気ディスク)は書き込みが遅いことを除いてハードディスクと同じように使うことも可能です。
8インチやそれ以上のものあったようですが、現物を見たことはありません。個人での入手は難しかったと思います。
5.25インチのものも業務用ですが、旬を過ぎてからはジャンクを入手可能でした。ここでも以前NWP-539Nを取り上げました。容量は片面297MBで、裏返すことで両面使用が可能でした。
最終的に約9GB(両面)のものまで出ていたようです。
3.5インチのものは(少なくとも日本では)一般に普及しました。
容量は当初128MBで、後に230MB⇒640MBと大容量のものが製品化されています。さらに1.3GB, 2.3GBのものもありました。
フロッピーディスクと同じように取り扱えて容量が100倍だったので導入しやすかったのだと思います。
オーディオ用CDが登場したのが1982年、ディジタル記録しているこれをデータ記録用に使おうとするのは自然な流れで1985年にはPC用のドライブが発売されました。
日本で有名なのは1988年の家庭用ゲーム機PCエンジン用のCD-ROM2と、1989年にCD-ROMを標準搭載した富士通のFM TOWNSでしょうか。
CD-Rはちょうど開発された頃で、「CD-ROM」の名の通りプレスされたデータを読むだけのものでしたが、ソフトウェアの配布用には適していました。ソフトウェアの容量が大きくなりフロッピーディスクでは枚数が増えてきたからです。
また600~700MBの大容量を生かして辞書を入れたり、音声トラックと共存できることからソフトウェアの動作と連動して音声を再生したりといった使い方もされました。当初は標準的なHDDより大容量だったこともあり、インストールせずに使う時にディスクをセットする使い方も多かったです。
私が最初に買ったのは1993~1994年頃だったと思いますが、PC内蔵用のドライブが数万円したでしょうか。
ハードディスクもまた高価な周辺機器でした。
PC-9801(初代)の定価は298,000円でしたが、最初に発売された純正のハードディスクユニットPC-98H31は478,000円もしました。容量は5MBですから、フロッピーディスクの5~15枚分でしかありません。よほどの理由が無ければ(特に個人では)フロッピーディスクの入れ換えで我慢するしかありません。
この頃のPC-9801用のハードディスクはこんな構成になっていました。
本体の拡張スロットにSASI(SCSIの前身)のボードを挿し、ハードディスクユニット(1台目)とはSASIのケーブルで接続します。1台目のユニットはSASI⇔ST-506変換ボード(コントローラ)とドライブ(ST-506)と電源で構成されています。「ST-506」は元々Seagateのドライブの型番でしたが、インターフェイスの名称として広く使われました。このインターフェイスでは複数のドライブを制御可能なので、2台目のユニットを増設可能でした。1台目と2台目のユニット間はSASIではなくST-506で接続するので、2台目のユニットにはコントローラはありません。
第4回目はフロッピーディスク、OSのライセンスを紐付けるためだけに購入する人がいるくらい安くなりましたが、1980年代中頃まではパソコン本体よりはるかに高価な周辺機器でした。
例えば日本最初期のパソコンの一つPC-8001の定価は168,000円でしたが、純正のフロッピーディスクユニットPC-8031(5.25インチ1Dドライブ×2+コントローラ+電源)の定価は310,000円もしました。多くのユーザがカセットテープを使っていたのも仕方のないことです。
最初のフロッピーディスクは直径が約200mmの8インチと呼ばれるものです。個人用にはあまり使われませんでしたが、5.25インチや3.5インチで「高密度」フォーマットが使えるようになるまでは容量が大きかったのでビジネスを中心に使われました。代表的なフォーマットには以下のようなものがあります。
32ビット以上になるとRISC (Reduced Instruction Set Computer)と呼ばれる命令セットを持つプロセッサが出てきます。
従来のプロセッサとはソフトウェアの互換性が無いのでPC・パソコンの世界ではあまり使われませんでしたが、UNIXワークステーション等の世界では普及しました。「パーソナル」の趣旨から少し外れますが、リースバック品等を入手して個人で動かしていた人もそれなりにいましたので簡単に触れることにします。
IBMのPowerPCは一時期Apple Macintoshに使用されていました。またPlayStation3のCELLにも汎用プロセッサコアとして入っていました。
SPARCはSun Microsystemsや富士通のワークステーション・サーバに使用されました。一時期Sunワークステーションのジャンクや中古が用意に入手可能だったので自宅で動かしていた人もいました。(私もです)
MIPSはR3000, R4700といったモデル名で呼ばれることが多いです。RISCの中では広く用いられた部類だと思います。