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思い出・昔話

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第10回:再び半導体メモリ)

第1回でも半導体メモリについて書きましたが、その後も登場します。

MS-DOSの時代、いわゆる640kBとか768kBの壁の範囲を超えてメモリを積んだ場合、その利用法で一般的だったのは「RAMディスク」でした。余ったメモリを仮想ディスクとして使用するわけです。これは通常電源を切れば揮発しますから、消えても構わない一時ファイルや、かな漢字変換の辞書のように起動時にディスクからコピーしてキャッシュのように使います。
高価でしたがバッテリや別電源を用いて内容を保持するタイプもありました。

またPC-9801シリーズは多くの機種がフロッピーディスクドライブを2基搭載しており、それを前提にしているソフトウェアも多くありました。ノートタイプは1基しか搭載していないので、もう1基分をメモリで補っていました。これはROM BIOSレベルでサポートされており、不揮発なのはもちろん、そこからOSを起動することも可能でした。

Flash EEPROM(特に大容量のNANDタイプ)が実用化されると状況が変わります。それまで大容量の半導体メモリといえばDRAMと相場が決まっていたものが、それより大容量でしかも不揮発性のメモリが出現したわけです。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第9回:テープ再び)

カセットテープはオーディオ用をそのまま使ったものでしたが、今回取り上げるのはコンピュータ用に作られたものです。

1/2インチのものは映画等に出てくる「いかにもコンピュータ」といった感じの奴です。これを個人で使っている人はあまりいないと思いますね。
記録密度は800bpi(Bit per Inch), 1600bpi, 6250bpiのいずれかで、9トラック、テープ長は2400ftというのが標準でした。今では記録密度もトラック数も増えています。

QIC(Quarter Inch Cartridge)は名前の通り1/4インチ幅のテープを使うもので、ドライブ, テープのような形態です。容量は20MB~1GB程度です。

ドライブによってはデータ圧縮機能を持っているものもありますが、本記事では非圧縮時の容量を書いています。

UNIXワークステーション用のソフトウェアのインストールメディアとしても使われました。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第8回:MOディスク)

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CD, DVD, BDなど光ディスクが基本ROM(書き込めるものもあるが何かしら制約がありハードディスクのようには使えない)なのに対し、MOディスク(光磁気ディスク)は書き込みが遅いことを除いてハードディスクと同じように使うことも可能です。

8インチやそれ以上のものあったようですが、現物を見たことはありません。個人での入手は難しかったと思います。

5.25インチのものも業務用ですが、旬を過ぎてからはジャンクを入手可能でした。ここでも以前NWP-539Nを取り上げました。容量は片面297MBで、裏返すことで両面使用が可能でした。
最終的に約9GB(両面)のものまで出ていたようです。

3.5インチのものは(少なくとも日本では)一般に普及しました。
容量は当初128MBで、後に230MB⇒640MBと大容量のものが製品化されています。さらに1.3GB, 2.3GBのものもありました。
フロッピーディスクと同じように取り扱えて容量が100倍だったので導入しやすかったのだと思います。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第7回:光ディスク)

オーディオ用CDが登場したのが1982年、ディジタル記録しているこれをデータ記録用に使おうとするのは自然な流れで1985年にはPC用のドライブが発売されました。

日本で有名なのは1988年の家庭用ゲーム機PCエンジン用のCD-ROM2と、1989年にCD-ROMを標準搭載した富士通のFM TOWNSでしょうか。
CD-Rはちょうど開発された頃で、「CD-ROM」の名の通りプレスされたデータを読むだけのものでしたが、ソフトウェアの配布用には適していました。ソフトウェアの容量が大きくなりフロッピーディスクでは枚数が増えてきたからです。
また600~700MBの大容量を生かして辞書を入れたり、音声トラックと共存できることからソフトウェアの動作と連動して音声を再生したりといった使い方もされました。当初は標準的なHDDより大容量だったこともあり、インストールせずに使う時にディスクをセットする使い方も多かったです。

私が最初に買ったのは1993~1994年頃だったと思いますが、PC内蔵用のドライブが数万円したでしょうか。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第6回:ハードディスク)

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ハードディスクもまた高価な周辺機器でした。

PC-9801(初代)の定価は298,000円でしたが、最初に発売された純正のハードディスクユニットPC-98H31は478,000円もしました。容量は5MBですから、フロッピーディスクの5~15枚分でしかありません。よほどの理由が無ければ(特に個人では)フロッピーディスクの入れ換えで我慢するしかありません。

この頃のPC-9801用のハードディスクはこんな構成になっていました。
本体の拡張スロットにSASI(SCSIの前身)のボードを挿し、ハードディスクユニット(1台目)とはSASIのケーブルで接続します。1台目のユニットはSASI⇔ST-506変換ボード(コントローラ)とドライブ(ST-506)と電源で構成されています。「ST-506」は元々Seagateのドライブの型番でしたが、インターフェイスの名称として広く使われました。このインターフェイスでは複数のドライブを制御可能なので、2台目のユニットを増設可能でした。1台目と2台目のユニット間はSASIではなくST-506で接続するので、2台目のユニットにはコントローラはありません。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第5回:続フロッピーディスク)

前回は8インチと5.25インチについて書いたので今回は3.5インチからです。

3.5インチではコンパクト化とともに扱いやすさを向上しています。具体的にはケースがハードタイプになって折り曲げに強くしたことと、アクセス用の窓にシャッターが付いて埃の侵入を防止するようになりました。また誤った向きに挿入することもできなくなりました。やっと素人でも使えるようになったといえるでしょう。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第4回:フロッピーディスク)

第4回目はフロッピーディスク、OSのライセンスを紐付けるためだけに購入する人がいるくらい安くなりましたが、1980年代中頃まではパソコン本体よりはるかに高価な周辺機器でした。

例えば日本最初期のパソコンの一つPC-8001の定価は168,000円でしたが、純正のフロッピーディスクユニットPC-8031(5.25インチ1Dドライブ×2+コントローラ+電源)の定価は310,000円もしました。多くのユーザがカセットテープを使っていたのも仕方のないことです。

最初のフロッピーディスクは直径が約200mmの8インチと呼ばれるものです。個人用にはあまり使われませんでしたが、5.25インチや3.5インチで「高密度」フォーマットが使えるようになるまでは容量が大きかったのでビジネスを中心に使われました。代表的なフォーマットには以下のようなものがあります。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第3回:QD,バブルメモリ,ROM)

フロッピーディスクに行く前にマイナーなものを見ておきましょう。

クイックディスク(QD)はテープとディスクの中間のようなものです。形状はフロッピーディスクのような円盤ですが、ディスクの回転とヘッドの移動が独立している通常のディスクとは異なり、回転と連動してヘッドが移動する仕組みになっています。その結果、記録は同心円状ではなく渦巻状になります。もちろんランダムアクセスはできません。
容量は片面64kBで、裏返して使えるので合計128kBになります。
MZ-1500など一部のパソコンに使われた他、ファミリーコンピュータのディスクシステムに使われました。ファミリーコンピュータ用では汎用のディスクが使えないように故意に形状が変えてありました。

磁気バブルメモリは磁性体薄膜を使ったメモリで、テープやディスクとは異なり機械的な動作無しで電気的に読み書きが可能です。磁気記録なので不揮発性です。
パソコン用の採用例は少ないですが、BUBCOM-80やFM-8に使われました。32kBと128kBのメディアがありましたが、容量に比べて非常に高価でフロッピディスクの代替品にはなりえませんでした。
ラジオ会館のショールームで画像を読み込ませてフロッピーでディスクよりこんなに速いというデモをしていたのを憶えています。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第2回:カセットテープ)

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フロッピーディスクの普及まではオーディオ用のカセットテープが広く使われました。

コンピュータの補助記憶装置として欠点も多いとはいえ、次のように当時の事情によくマッチしていたといえます。

パーソナルなコンピュータの補助記憶事情 (第1回:半導体と紙)

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これまでいろいろと書いてきましたが、そういえば補助記憶装置についてはまだだったと思います。

さて補助記憶装置というとどんなものを想像するでしょう? 今だとHDDやSSDあたりでしょうか。
定義としてはCPUが直接アクセスできないメモリとするのが一般的です。

補助記憶装置の話を書く前にブートプログラムの置き場所について書いてみます。

まだパソコンと呼ばれるものがなかった頃、コンピュータを自作する上での大きな問題の一つが電源投入時に実行するソフトウェアをどうするかでした。これ無しではキーボードや表示装置を動かすことも、補助記憶装置を使うこともできません。

最も原始的なのは人間に頼ることです。電源を入れたらスイッチ等を利用してRAMに直接書き込んでいきます。電源を入れるたびに行なわなくてはならないので一度入力したら極力電源は切らないという運用になります。

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