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思い出・昔話

モニタ プログラム

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Z8用モニタについて書きましたが、それ以前にもモニタは何度となく書いています。

  1. Z80ボード3号機
    これはオリジナルではなく『トランジスタ技術』1984年6月号掲載のものをベースに移植・拡張したものです。Z80のアセンブリ言語で記述されています。
    他の多くがシリアルポート経由で操作するのに対し、16進テンキーと8桁7セグメントLEDを使用します。
  2. MC68kボード
    これもオリジナルではありません。やはり『トランジスタ技術』1985年4月号掲載のものを移植拡張しました。MC68000のアセンブリ言語で記述されています。後にMC68010用に変更しています。

パーソナルなコンピュータの入力装置事情 (第5回: その他)

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入力装置事情も今回で最後、まだ取り上げていないものをまとめてこの項を終わりにしようと思います。

最初はデジタイザです。

平板上の座標を入力する機器で、マウスやトラックボールが相対的な移動量を入力するのに対し、絶対的な座標を入力します。今のペンタブレットにあたるものですね。

当時もペン型はありましたが精密なものでは「カーソル」と呼ばれるものが使われました。これはマウスに照準器がついたような形状のもので、デジタイザの平板上に置くと照準の中心の座標が入力できます。主に図面の入力用で、平板上に入力したい図面を固定しておいて頂点の座標を拾っていきます。

パーソナルなコンピュータの入力装置事情 (第4回: マウスとその仲間)

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今回はいよいよマウスです。

初めてマウスというものを触ったのは中学のときでした。当時、技術科準備室にあったPC-9801F2の純正オプションのPC-9871だったと思います。値段は約3万円くらいでした。マウス本体とCバスのインターフェイスボードのセットです。

まだN88 DISK BASIC(86)を使っていましたから使い道なんて無かったのに何で買ったのだろう...

OSのサポートも無く、アプリケーションが独自に対応しなくてはなりません。図を描くようなソフトウェアで無い限り対応していませんでした。

この頃のマウスは中にボールが入っていて、マウスを動かすとこのボールが転がってその動きを光学エンコーダで読み取る仕組みです。隙間からゴミが入って動きが悪くなるので時々ボールを取り出して中を掃除する必要がありました。

ボールの無い光学式マウスも登場した頃のものは現在のものとは異なり、縦横に特殊な線の印刷された専用のマウスパッドが必要でした。

センサにカメラを使い任意のパターンで移動を検知できるようになったのが現在主流の光学式マウスです。レーザー式などありますが基本原理は共通していると思います。

パーソナルなコンピュータの入力装置事情 (第3回: ジョイスティックとライトペン)

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コンピュータのパーソナルな使い道というとゲームが重要な位置を占めるのは今も昔も変わりありません。

キーボードでも操作できますが、本格的にプレーするためにはジョイスティックが欲しくなります。前回(第2回: キーボード)でも書いたように壊しても簡単に交換できなかったことも理由の一つかもしれません。

形式としては少なくとも日本ではレバー(上下左右のスイッチ)とボタンが2つというのが一般的でした。
Apple IIなどはレバーをスイッチではなくX軸とY軸のアナログ値として読めるタイプだったと思います。

NECのPC-6001やMSXなどホビー向けの機種は専用のコネクタを持つものがありました。D-Sub 9ピンのコネクタ(いわゆるATARI仕様)が2つ付いているのが多かったと思います。

専用端子のない機種では以下のような接続方法がありました。

パーソナルなコンピュータの入力装置事情 (第2回: キーボード)

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マイコンキットのモニタや簡易アセンブラ程度なら専用キーボードでもなんとかいけましたが、BASICなどの言語を使用するならフルキーボードが必要になります。

16進テンキーのマイコンでもオプションでフルキーボードが用意されたものもありました。メモリとディスプレイ回路を追加してBASICを実行するためのものです。

基板むき出しではなく完成品のパソコンになるとフルキーボード搭載が一般的になります。

キーボードの形態としては一体型と分離型がありました。

当初はキーボードは本体と一体になっているのが普通でした。現在のキーボードを分厚く(10cm程度)して中に本体機能を収めたようなものです。

ノートパソコンからディスプレイを取り除いて厚くしたような構造です。

厚さを増すと操作しづらくなるのでキーボードの下に基板を1枚配置し、拡張スロットや電源などは奥に配置するのが普通です。

奥行きを伸ばしてディスプレイを上に乗せるようにしたものもあります。日立のベーシックマスターレベル3などがこの形式です。

上位機種の多くは次に述べる分離型に移行していきましたが、低価格機を中心に一体型もしばらくは残りました。

パーソナルなコンピュータの入力装置事情 (第1回: マイコン時代)

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久しぶりのこのシリーズ、ハードウェア関連はネタが無くなってきたのでOS・プログラム言語などソフトウェア関連を書こうと準備していたのですが、そういえば入力装置について書いていないことを思い出したので数回にわたって取り上げてみます。

個人で初めてのコンピュータを自作するとしたらスイッチパネルしかないでしょう。

「初めてのコンピュータ」というのは「初めて作る」ではなく「初めて持つ」ものを作るという意味、つまり開発用のコンピュータも無い状況です。

トグルスイッチ(他のスイッチでも構いませんがすばやく簡単に操作できないと後悔するでしょう)がたくさん並んだパネルです。プロセッサを一時的に止めておき、このスイッチでバスに直接アクセスします。スイッチでアドレスとデータを1バイトずつメモリ(RAM)に書き込んでいくのです。

プロセッサの動作中は邪魔をしないように切り離しておきますが、ソフトウェアからスイッチの状態を読めるようにすることもできます。

これは使い勝手はとても悪いのですが、ソフトウェア無しで使えるという他にないメリットがあります。

MC68kボード復活作戦(番外編)

MC68kボード復活作戦のために当時の開発環境を引っ張り出しました。今回はそれについて書いてみたいと思います。

まずは使用したアセンブラです。

CP/M-68Kが動いてからは付属のアセンブラ・Cコンパイラを使用しましたが、それまではPC-8001mk2上でクロスアセンブラを使用していました。『I/O』1986年2月号掲載のクロスアセンブラです。

これはN BASIC上で動作するもので、ソースは次のようにBASICのエディタを流用して入力します。

10 "loop: bra loop

BASICの文法的には間違っているので「run」すれば当然エラーになりますが、文字列の形式になっているのでそのままメモリに格納されます。アセンブラはそれを読んでアセンブルするというわけです。

これはディスク無しで動作するものなのでアセンブラ本体・ソース・オブジェクト・シンボルテーブルなどすべてがRAM上になければなりません。ソースとオブジェクトはオーバラップさせることもできますが、一度アセンブルするとソースが破壊されます。

MC68000系のメモリ事情(その3:MC68020以降)

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MC68020で外部バスがデータ・アドレスともに32ビットとなってメモリは当初計画のフルスペックの4GBとなりました。とはいえ登場した頃はまだ4GBのメモリを必要とする応用など無かったのでアドレスデコードが面倒くさいだけと思った人も多いでしょう。

ここまできてもメモリ管理ユニット(MMU)は内蔵されていません。メモリ空間の拡張のためにもMMUを必要とした80286などと異なり、必要性がそれほど無かったからかもしれません。
それでも仮想記憶には必要なので外付けとして用意されました。一つはMC68000,MC68010用のMC68451を拡張したらしいMC68461ですが、残念ながら詳しい資料が見当たりません。もう一つはMC68851、こちらは一部のパソコンなどにオプションで搭載できましたからそれなりに知られていました。いずれも論理メモリ空間・物理メモリ空間はともに4GBです。

命令フェッチのみですが256バイトのキャッシュも内蔵されました。

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