PK-87J Terminal Node Controller
これはアマチュア無線でデータ通信を行うための機器、Terminal Node Controller 略してTNCです。
無線用のモデムと思ってもらえれば大体あっています。
厳密には狭義のモデム(変復調器)とプロトコル制御器が一体になったものですが、電話用のモデムの構成も似たようなものです。
自宅から発掘された機器・部品・その他を紹介します。入手の経緯は
など様ざまです。
特記のない限り廃棄はしていません。
「細部が見たい」「内部を見たい」などありましたら「ご意見・ご要望」に書いていただけると再発掘するかもしれません。ただ整理して保管しているわけではないのでいつになるかはわかりませんし、最悪の場合は偶然出てくるまでそのままになる恐れもあります。
これはアマチュア無線でデータ通信を行うための機器、Terminal Node Controller 略してTNCです。
無線用のモデムと思ってもらえれば大体あっています。
厳密には狭義のモデム(変復調器)とプロトコル制御器が一体になったものですが、電話用のモデムの構成も似たようなものです。
今回は電子的な遺物ではなく、電子化により遺物となったものです。
これは新明和工業株式会社の株券(現在は電子化により無効になっています)、50円×1,000株 = 50,000円ということで「金五萬圓」の額面です。発行日は昭和35年8月1日ですから半世紀以上昔になりますね。
裏側には過去の所有者が書かれているのですが、公表してよいものか判断が付かないので写真は無しです。
大昔はこれを金庫に保管したりしていたようですが、私が株を始めたころは(少なくともネット証券では)株券そのものは預けたままにするのが普通になっていました。ただ株券自体もまだ有効で、証券会社によっては要求すれば現物を手にすることも出来るという状況でした。
そんな時に「電子化するので預けてください」という案内を見て、天邪鬼だった私は今を逃せば現物を拝めなくなるということで1枚分取り寄せてみることにしたのです。
3つだけ発見していた漢字ROMは残り6つを発見し揃いました。
記憶どおり001~009のセットでした。
せっかくなのでROM内でのデータ形式でも書きたいところなのですが、資料が見つかりません。
ふと以前紹介したフロッピーの写真を見ていると...
ラベルに「24x24 漢字 & ピタゴラス数」と書いてあります。「24x24 漢字」? 探していた資料は8インチフロッピーの中か?
困りました、8インチを読めるようにするより、ROMを読んで再度解析するほうが早い気がします。
PC-8001mk2に挿していた自作の拡張ボード、2つのスロットにはこれと8インチFDのコントローラが入っていました。
これが全体像です。
下の拡張スロットに挿していたI/Fボードと右上のROMライタボードの間は例によってコネクタをケチって直結していますね。
I/Fボードから伸びている黒いコードは音声出力、細い青い線は+12Vの電源です。
I/Fボードの表面、このボードには
黒の26ピンコネクタにPPI (8255)のポートがそのまま出ています。
2764/27128に書き込むことができました。
東芝製の真空管12AX7Aです。
これは双三極管といって一つの管の中に三極管(FET類似の特性をもつ)を2つ封入したものです。
わかったようなことを書いていますが、真空管回路の設計・製作をしたことはありません。せいぜい周辺回路の修理をしたことがある程度です。
小学校の図書の時間に本で読んで(図書室の電気関係は古い本ばかりでした)興味を持ったのですが、なにせ(ヒータで高温になり、プレートには300V程度の電圧が必要なため)危険なので手は出さなかったのです。
TMM323Cではわからなくても、2716と言えばわかる人も多いでしょう。
初期の頃の紫外線消去タイプのEPROMです。窓の周りやピンの形状が古めかしいですね。
24ピンで容量が16kbit(2kバイト)、アクセスタイムは450nsだったでしょうか。この2716から5V単一電源になって書き込みも簡単になったそうですが、私はEPROMはこの2716から使い始めたのでその点の実感は無いですね。後から2708の仕様を読んで「げっ」と思ったものです。
Flash ROMが使えるようになる前の時代、マイコンボードを自作する上での大きな壁の一つがROMをどうするかと言うことでした。テンキーからプログラムを入力するにしてもテンキーを制御するプログラムが、テープ・ディスクから読み込むにしてもテープ・ディスクを制御するプログラムがそれぞれ必要で、それをどうやって用意するかが問題でした。
平和島の流通センターで行われていたマイクロコンピュータショウ、何年まで開催されていたのでしょうか?
貰ったパンフレット類はほとんど残っていませんが、なぜか入場者に配られた手提げが残っていました。
これは初めて行った1983年のもの、この時私は中1でした。こんな子供がデバイスなんかのブースに行っても「えっ?」という顔はされても普通にパンフレットくれた記憶があります。
このときのキャッチフレーズは「知能化時代とマイコンの役割」。この年はまだ手提げ用の紐は付いていません。印刷も片側のみで裏側は真っ白です。
これは私が家で(メインで)使った3台目のプリンタです。
キヤノン製のレーザプリンタで、家庭でも使える大きさ・価格になった初期のものです。私が珍しく新品を買ったプリンタでもあります。
この頃がこのクラスのプリンタとしての一つの転換点だったのではないかと考えています。それまでの連続紙に固定サイズフォント(せいぜい「倍角」にできるくらい)からカット紙を給紙してスケーラブルなフォントに変わりました。これはコンピュータをわかっている人がコンピュータに合わせて使う時代から、普通の人が世間の慣習にあわせて使う時代への変化なのでしょう。
これは私のものではありませんが、昔から家にあったもので、私がパソコンに興味を持つきっかけになったかもしれないものです。
これはキャリングケース、これではなんだかわからないですね。
Smith-Coronaの会社名からわかる人にはわかるかもしれません。
ケースを開けたところ。そう、これはタイプライタ、電池も電源も不要の完全機械式です。
ケースから出すこともできますが、母はよくこのまま食卓の上で打っていましたね。サイズがぎりぎりなのでキャリッジの位置を正しく合わせないと閉めることはできません。