富士通 川崎工場 テクノロジーホール
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富士通 川崎工場 テクノロジーホール、一般には非公開なのですが「富士通フェスティバル 春まつり川崎2019」の案内に「テクノロジーホール見学」とあったので行ってきました。
JR南武線の武蔵中原駅を出ると目の前に正門があります。
この雰囲気からわかるように屋台の並ぶお花見イベントなのでテクノロジーホールを目当てに来るのは少数派でしょう。
門を入って正面の大きなビルの地下1階にテクノロジーホールはあります。
富士通 川崎工場 テクノロジーホール、一般には非公開なのですが「富士通フェスティバル 春まつり川崎2019」の案内に「テクノロジーホール見学」とあったので行ってきました。
JR南武線の武蔵中原駅を出ると目の前に正門があります。
この雰囲気からわかるように屋台の並ぶお花見イベントなのでテクノロジーホールを目当てに来るのは少数派でしょう。
門を入って正面の大きなビルの地下1階にテクノロジーホールはあります。
このちょっと変わったLEDは何と呼べばよいのでしょうか?
7セグメントのようですがGセグメント(中央の横線)のところに短い縦線が追加されていて「+」表示ができるようになっています。
パネルメータなどの「-1999」~「+1999」といった表示の最上位桁に使うものと思います。
側面はこんな感じ、「TKS-501H」が型番でしょう。8517はデートコードかな。
MC68kボード復活作戦のために当時の開発環境を引っ張り出しました。今回はそれについて書いてみたいと思います。
まずは使用したアセンブラです。
CP/M-68Kが動いてからは付属のアセンブラ・Cコンパイラを使用しましたが、それまではPC-8001mk2上でクロスアセンブラを使用していました。『I/O』1986年2月号掲載のクロスアセンブラです。
これはN BASIC上で動作するもので、ソースは次のようにBASICのエディタを流用して入力します。
10 "loop: bra loop
BASICの文法的には間違っているので「run」すれば当然エラーになりますが、文字列の形式になっているのでそのままメモリに格納されます。アセンブラはそれを読んでアセンブルするというわけです。
これはディスク無しで動作するものなのでアセンブラ本体・ソース・オブジェクト・シンボルテーブルなどすべてがRAM上になければなりません。ソースとオブジェクトはオーバラップさせることもできますが、一度アセンブルするとソースが破壊されます。
前回ACIAを交換してみたところまで書きました。
レベルコンバータのMAX232も手持ちのSP3232と換えてみましたが、やはり駄目でした。チャージポンプのキャパシタが悪いのかもしれませんが、この基板はあまり弄りたくないので迷うところです。
いろいろ試しているうちにレベルコンバータのICを抜いているとTxDataに信号が出ていることに気づきました。リセット直後に130回ほど変化しています。
これはオープニングメッセージかもしれません。
同じころソースコードから通信条件が 7ビット・偶数パリティ・ストップビット2 であることもわかりました。今ならこんな設定にはしませんが、元になったモニタの設定をそのまま流用したようです。
ROMが用意できたのでいよいよハードウェアを動かしていきます。
まず電源とシリアルの線が失われてしまっているので何とかしなくてはいけません。このボードは思い出も多いのであまり弄くりたくないのと、本数も少ないので基板から直接リード線で引き出してACアダプタ用のDCジャックとD-Sub 9ピンのコネクタをつけました。MAX232付近に必要な信号がそろっているのでそこから引き出します。
電源の極性を十分確認してから電源を投入してみます。
HD468A50Pの送受信クロックは153.6kHzだったのでボーレートは9600bpsと思われます。ターミナルも準備してリセットを何度か押してみますが何も出てきません。
今度のものは初期のDSP(Digital Signal Processor)です。
NEC製のμPD77P20D、μPD7720AのマスクROMをUV-EPROMに置き換えたものです。
元になったμPD7720は1980年の発表と古いものですが、入手したこれは1995年製と比較的新しいものでした。NECロゴも新しいものになっています。
今では汎用プロセッサを用いて音声信号の処理を行なうことは簡単ですが、1980年頃のプロセッサでリアルタイムの音声処理を行なうことは容易なことではありませんでした。そこで汎用性を犠牲にして音声などの信号処理に特化したプロセッサが作られました。それがDSPです。